無職・フリーターから、アクセサリーデザイナーになった話②【デザイナー日記】

無職フリーターからアクセサリーデザイナーになった話2

こんにちは!

今回第二回です。前回は”高校〜専門学校”のお話を書きましたが、今回はその続きです。
(一気には書けないので適当に、シリーズにする予定です。)

ただのイチ人間の進路話ですが、「こういう人もいるんだ〜」程度で読んでいただけるとありがたいなぁと思います。それでは今回も宜しくお願いします。

2年制の専門学校、卒業間近なのに辞めかける。

「分からない事だけ知るんじゃなくて、もっと技術的な事を基礎から教えて欲しい…!」と思っていた私は、だんだんと学校を休むようになりました。休んで入り浸ってたのは、同じくモヤモヤを抱えていた同じ学校の同級生の家。同じ思いを持っている人と一緒にいるのって自分の考えが肯定されているみたいで心地いいんですよね。。笑

その頃ちょうど ” 卒業制作 ” を作らなければいけない時期に差し掛かっていました。
学校へ行くと先生に「あなたたち一体どうするの?」と。

話は前後しますが、学校を休みがちになる前に「手作り腕時計」に興味が湧いて教室に通ったことがあったんです。真鍮を自分で加工して、時計枠を作っていく、彫金のような制作方法でした。
結構受講料も高かったんですが、それを受講した後に「楽しかったけど、時計ばかり沢山作っても仕方ないよなぁ、何かアレンジしてアクセサリーでも作りたいな」と思っていまして。そこからアクセサリーを作るようになりました。

これがちょうど卒業制作になったわけです。


卒業制作で、アクセサリーを作りはじめる。

学校を辞めると親に言ったりもしたのですが「どっちみちもうすぐ卒業するのにわざわざ辞めなくてもいいんじゃないか」と言われ、それもそうだなという気持ちもあり、ずっとモヤモヤしていました。
(ここでめちゃくちゃ反対されていたら、反発して辞めていたかも…とも思います。)

何となく学校に行く、家でアクセサリーを作ってみる、友達の家にいく、のルーティンの中で、先生に卒制のことをつっつかれ、困った私は「アクセサリー作ります!!」と。

作っていたアクセサリーを見せたら、最初はうーーんという感じでしたが、段々改良されていって先生も「あーいいじゃん!」と言ってくれたことでやっと光が見えてきます。

この時先生に、「〇〇(私)は最初めちゃ低空飛行なのに、ある段階でバッとクオリティ上げてくるなぁ」と言われた事はいまだに胸の中に強く残っています。(褒められたと認識している。笑)


作品をいくつも作り、アクセサリーブランドが生まれる。

先生の「イイネ!」を貰いまして、色んなタイプの作品を作りました。
私がいた学校の卒制は、学校下での展示と、もう一つは大きなイベントに出店があって、イベントの方は実際にお客様に販売します。必然的にアクセサリーのブランドが生まれることになるのです。

これは私にとって一つのターニングポイントだったなと思います。

学校は嫌ではありましたが、アクセサリーを試行錯誤しながら作るのは楽しくて、家で日中から作業していて母親に学校は?と聞かれても「卒制作っているから」と大義名分を振りかざし笑、着々と準備は進みました。

今でこそ、もう当時の作品は作っていませんが(実はここにも色々濃〜い話があり…)、今でもあの時作ったブランドは面白い着眼点だったなぁと思っていますし、気に入ってます。
とにかくそんなオリジナルブランドが完成しました。



意外と専門の話が長くなってしまいました…。次回はもう少し先に進んで、卒業後のお話できればと思います。

…③へ続きます!